「一挙に消費税8%へ」と「公共事業の大盤振舞い」の大間違い

BPM

来年4月に消費税率を8%に引き上げることを安倍首相が決断したと報じられた。首相は、10月1日に発表される9月の日銀短観や8月の有効求人倍率などを分析して最終判断し消費税率引き上げを発表する方針だが、18日、麻生財務相に法人税減税の具体策検討を指示したことから、既に腹を固めたと見られる。

もともと4~6月期の国内総生産(GDP)改定値が重要な判断材料になると注目されていた。9日発表された改定値は、名目が年率換算3.7%増、物価の影響を除いた実質が3.8%増を確保し、消費税増税法の付則で目安とされる名目3%、実質2%の成長率を上回った。これで増税の条件は整ったとされたのだろう。

問題は2つある。多分、一挙に3%アップとなってしまうことと、そのショックを和らげるという名目でおかど違いの公共事業の大判振る舞いに向かうことである。

一つめの問題は、一挙に3%もの大幅な増税率となることからくる経済変動、具体的には駆け込み需要とその反動としての買い控え行動という需要の山と谷のせいで、本来なら潤うはずの企業の多くが、超過需要に対応するための出費で需要期にも大して儲からず、しかもそれに続く需要落ち込みで大きく収益を落とすことである。

過去、3%から5%に上がった際でも強烈な需要変化が起きた。今回はそれ以上、ちょうど消費税導入時のような大きな需要変動がもたらされるだろう。買い控えが2年も続けば多くの中小企業は倒産してしまう。こうした事態を警戒して、中小企業とその従業員は短期的に多少カネが入っても、人件費増や出費を控えるだろう。景気腰折れの可能性が高まる。

だからこそ一部の識者は毎年1%の増税により10年掛けて10%に持っていくべきなどといった対処案を出していた。小生もこの案に賛成だった。これなら駆け込みも買い控えも起こりようがない。誰もが淡々とその年に必要なものを買うだろう。需要は平準化され、着実に景気回復がもたらされただろう。

しかし大企業を中心とする経済団体やエコノミスト達はほとんど一顧だにしなかった。彼らは、面倒だ、コストに撥ね返る、という。ある程度は当然である。しかしその反対意見は、前回および前々回の増税時に大騒ぎした、会計・請求等のプログラムとPOSのROM書き換えを毎年繰り返すと想像しているからに過ぎない。

毎年税率が変わると分かっていれば対処の仕方は変わってくる。会計・請求等のプログラムは膨大にある「5%」という部分をひとつ一つ毎年埋め込み直す代わりに、最初に「消費税○%」という部分を参照するように書き換えるだろう。あとは年度毎にその一か所を書き換えるだけで済む。POSレジもPCやタブレットをベースとするものが一挙に普及し、通信によって「消費税○%」という部分を書き換えるようになるだろう。したがって大騒ぎするほどの手間・コストではなくなる。

これらを勘案すると、毎年1%アップする案が費用対効果でいうと最も望ましいはずである。しかし官僚や政治家がこうした技術的な対処について理解できているとは思えないので、結局は一挙に8%へアップする策が採用されることだろう。残念だが。

もう一つの問題はもっと本質的なことである。それは上記の需要変動がもたらす景気の落ち込みを支えるためという名目で、5兆円ともいわれる大規模な経済対策(その大半は公共事業投資と企業減税)が予定されることである。

この大部分の原資は増税分3%のうち2%だといわれる。つまり日本政府の財政を立ち直らせるため、そして長期的には年々増える社会保障費を賄うために行われるはずの増税の多くが、公共事業に向かうのである。しかも法人を復興増税の対象からも外すことを前倒しに実行するとのことだ。いわば低所得者を含む一般家庭から、土建屋と儲かっている大企業およびその株主に、大幅な所得移転が行われようとしているのである。完全に所期の目的を見失い、本末転倒になり始めている。

首相とその周辺は、大企業および土木建築関連企業の業績全般および税環境が改善し、外資企業の日本での事業が儲かるとなれば、いずれ雇用が改善し賃金が上昇し、世の中のカネ回りがよくなる、という「染み出し」または「おこぼれ」理論を信奉しているのだろう。しかしこれは小泉構造改革路線が大失敗したときに、有効でないことを既に確かめたではないか。企業や富裕層が儲かっても大半は内部保留され、世の中へ出回るカネの流れは太くならない。乗数効果は小さいのである。それより低所得者を中心に所得補てんをしたほうがずっと乗数効果は大きい。彼らは懐に入った傍から使わないと生活が成り立たないからである。

この「消費税を8%にする代わりに企業向けに経済対策」というニュースを最初に聞いたとき、小生が感じたのは「ああやっぱり」であった。このブログでも時折感想を漏らしているが、自民党の政治というのは、結局は土建屋政治であり、米国の共和党のような富裕層が得をするための政治だということである。ここにきて選挙というハードルがなくなった分だけ、自民党がその本性を露骨に現しつつあると感じるのは小生だけではなかろう。