銃社会・USAは変わるか?

グローバル

アメリカ・コネチカット州での小学生大量銃殺事件を契機に、ようやく米国社会に銃規制本格化の機運が現れてきた。

15日の事件直後の3日ほどは、日本の総選挙結果を含めほとんど他のニュースは無視されたくらい、全米は深い悲しみに沈んでいた。しかし、涙をぬぐいながらのオバマ大統領の「我々は意味あるアクションを取らねばならない」というコメントさえ、ニュースコメントでは疑問符つきのニュアンスだった。それだけ「自己防衛の権利」として銃の保有を認める意識は米国民に深く浸透しており、それを変えることは無理だとハナからあきらめてしまうのが、これまで(共和党に限らず)政治家の常だったのだ。

しかしその後、各界の有名人や識者たちや一般の人たちがこぞって「もうたくさんだ」といった声をあげるにつけ、全米ライフル協会の反発を恐れて沈黙を守って政治家も「有効な銃規制を」と言い出しており、今度こそ全米規模での本格的な大量殺人用の銃が規制される動きになりそうである。今回のような幼い子供たちの尊い犠牲で、ようやく人々も米国社会の異常さに目が覚めたと期待したい。次の選挙を気にしなくてよい2期目のオバマ政権であるからこそ可能な、「意味あるアクション」を望む。

一般市民が銃をおおっぴらに購入できる国は少なくないが、一般人保有の台数の多さでは米国が世界の半分程度を占めるという説もあるくらい、極端な銃社会なのである。今回のような一般人の大量殺人を狙った銃の乱射事件は、組織的なテロ活動を除けば、その多くは米国で、しかもほぼ毎年発生している。決して中東やロシアではない。そうした統計的事実も改めてニュースで集中的に報道されたので、米国民も嫌が応でも気づかざるを得なかったのだろう。

ただ、こうした大量殺人用の銃規制は望ましい方向とはいえ、必ずしも今回のような悲劇の再発防止に有効とは限らない。検討されようとしている銃規制の対象者は殺人や傷害などの暴力的犯罪歴がある者、精神治療歴があって暴力衝動が認められる者、それに知的判断能力に障害が認められる者、といった「大量殺人者」に結びつきそうなイメージで語られている。

しかし犯罪統計的には銃刀による大量殺人を最も起こすのは、実はそうした「いかにも怪しい/アブナイ」人々ではない。むしろ(今回の犯人もそうかも知れないが)それまで普通の一般人として扱われていながら、大きな個人的悲しみに襲われて自分の人生に絶望し、たまたま周りに集団としている他人を巻き添えにする「自殺願望」者なのだという。この類は事前に規制対象者として排除しようがない。

かといって、銃規制が全く意味ないとは思わない。事実、全米でも銃規制が厳しい地域では銃による大量殺人事件は少ないという。つまり米国が国家としてすべき規制は、「特殊な人」だけでなく、一般人がマシンガンやセミマシンガンなどの連続照射ができるようなタイプの銃を保有することを基本的に認めないようにすることが第一である。そして一家に保有できる台数も同時に規制すれば効果的だろう。そうした「大量殺人マシン」を一般社会から取り上げるだけで、今回のような事件の再発を防止できる度合いは一挙に高まるのである。米国に住んでいる友人たちのためにも、米国を訪れる機会のある我々世界の人々のためにも、是非ここまでは踏み込んで欲しいものだ。