警戒心に欠ける若い日本人たちは本当に生き残れるのか

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今どきの若者に多い「警戒心に欠ける行動」が以前から非常に気になっています。元々若者というのはある程度は無鉄砲なものですが、リーズナブルな警戒心に欠ける立ち振る舞いは、単に(自分や家族、および周りの)怪我や死亡のリスクを高めるだけの愚かなものです。

小さい時から「歩行者優先」と教えられ、子どもの時には手を挙げて横断歩道を渡ればクルマは止まってくれるものだと刷り込まれてきたためか、大半の若者が(および結構な割合の中高年も)公道で警戒心に欠ける様を見せていて、見ていてこちらがヒヤッとすることがよくあります。

でも今は街中で高齢者が随分と増えており、その一部は認知力が大いに衰えながらもその自覚がないまま、「走る凶器」の自動車を運転しているケースもあるので、本来なら大いに警戒が必要な時代なのです。

特に気になるのは、普通に自動車が行きかう道路にて、交差点の横断歩道で待つ際に端っこぎりぎりで待つか、若干道路側に乗り出している人たち。歩行者だけでなく、自転車乗りやベビーカーを押す(しかもベビーカーのほうを道路側に近くしている)女性たちです。なぜか若い人が多いのです。

こちらがクルマを運転している時にも「危ないな」とよく思いますが、歩行者として後ろから見ている時も、「ここに認知症の高齢者運転のクルマが突っ込んできたら、ひとたまりもないな」と想像してしまいます。

ましてや彼ら若者の多くは、横断歩道で信号が変わると左右を見ずにすぐに道路に踏み込みます。しかも我先に。でもそのタイミングで、赤信号を無視して交差点に突入してくるクルマがあったら(現実にありますよね)、確実に数人は死ぬか大けがしますね。

きっと彼らは、信号機と人々がルールを順守することを無自覚的かつ無条件に信頼しているのですね。でもそれは間違った思い込みに過ぎません。私自身は小さな子どものように、左右を確認しないと信号が変わった直後の交差点には恐ろしくて踏み出せません。

また、大都市部で歩きスマホが全然減らないことも驚きです。歩道や通路、地下道などでずっと前を見ないで進んでいる人が近寄ってくると、かなり危険ですし、どちらに避ければいいのか分からず困りますよね。

「相手が避けてくれる」と、世の中の善意を信じ切っているからこそできる芸当だと思いますが、同じ「歩きスマホ同士」がぶつかって、自分か相手が怪我をする可能性をなぜ考えないのか、実に不思議です。ましてや繁華街や商店街で歩きスマホをしていれば、ちんぴらなどに因縁を付けられる恐れも出てきます。得なことは何もないと思うのですがね。

他にも若い人に目立つ行動として、電車・地下鉄のラッシュアワーで、転落防止用の柵がないホームに人が溢れているのに最前列に並んでいる光景や、自転車で細い道から大きな道に出る際に、一旦停止はもちろん、ほとんど減速すらせずにいきなりそのまま飛び出す様子など、「命を粗末にしている」としか思えない場面は少なくありません。

高齢者だったら「寿命が近いのでOK」という話では決してありませんが、(ただでさえ数が減りつつある)若い方たちが警戒不足のせいで命を落とすのは本当に痛ましいものです。社会の損失です。しかもその原因が「赤の他人の行動を信じ過ぎたから」というのでは目も当てられません。

せめてもう少し若い方たちに警戒心を喚起させるような、社会としての工夫はできないものか、と日々のハイテク関連プロジェクトの中でも時折考えさせられています。