沈没事故の衝撃に韓国社会は目を覚ますのか

グローバル

旅客船「セウォル号」の沈没事故は、韓国社会に空前の衝撃と深刻な自己反省をもたらしつつあります。さて今後、その反省がどこに向かうのか、見守りましょう。

韓国南西部の珍島(チンド)沖で16日に発生した沈没事故から既に1週間が過ぎ、150人を超える死亡が確認されましたが、いまだ船内には多くの高校生が取り残されて安否が分からない状態です。誠に痛ましい事故で、近年のアジアで最大の海難事故となる模様です。韓国ではほぼ全てのイベントが自粛され、国全体が沈痛状態にあるようです。

逮捕された船長をはじめとする乗組員や運航会社の関係者の事情聴取で少しずつ状況が判明するにつれ、「人災」との見方が強まりつつあります。

客室増設の改造と貨物の過積載により船体のバランスが悪くなっていた上に、潮流が激しく危険な海域であるにもかかわらず経験のあまりない3等航海士に操舵させ、危険な急旋回をさせています。しかもその当時、船長は私用で持ち場を離れていた模様です。

事故が起きて船が傾き始めてから船体が沈むまでには2時間ほどあったのに、乗客を脱出させるために何ら適切な措置は取られていません。それどころか、「客室内に留まる」ように船内アナウンスが何度もあったそうです。そのため、周辺には異常を聞きつけてタンカーなどが駆けつけており乗客が脱出すれば救助されたはずなのに、船が45度傾いても誰一人として脱出してこなかったそうです。

結局、15人の船舶職乗務員の誰一人としてまともな乗客救護措置をすることなく、自らは脱出しています(ただし客室乗務員の中には、子供たちを先に救出させるため自らは犠牲となった人もいたそうです)。しかも船長は救助される際に一般人を装っていたそうです。

ここまでくると、船長らには人間として恥ずかしくないのかと問いただしたくなります。実際、彼らは逮捕され、事情聴取を受けています。しかし貨物の過積載が指定量の3倍以上だったという情報もある上に、乗務員が緊急避難訓練を全く受けていないことが判明し、金儲け優先のために安全を軽視してきた運航会社の実態も明らかになってきました(この後の捜査で、他にも安全無視の実態が追加判明するかも知れません)。

一方、韓国政府もまた不手際を見せています。事故発生翌日の17日に朴大統領が現場を視察するまで行方不明者家族には何らまともな説明はなく、救助隊が船内に侵入して捜索活動に入り始めたのはさらに翌日、18日からでした。中央災害安全対策本部は、救出者や死亡者の数といった基本的な事柄を含め事態を正確に把握することができずに説明を何度も翻し、現地に集まった企業やボランティアの人々も、適切な指示がないために待機を続けざるを得なかった模様です。要は、こうした海難事故に備えたマニュアルも訓練経験もなかったため、「司令塔」が機能していない状況だったのです。

こうした事態を受け、韓国内では「歪んだ社会が子供たちを殺した」という強い慚愧の声が上がると共に、リーマンショック以来荒み切った韓国社会にも幾つかの変化も芽生えているようです。

まず、2009年11月に日本で発生した同様のフェリー事故(ありあけ号、三重県の熊野灘にて)で死亡者ゼロだったことが韓国内で注目されているそうです。これを見ると、事故後の対応の違いが生死を分けたことが明らかです。
http://www.asahi.com/articles/ASG4P5K25G4PUHBI02M.html

また、日本に対する強硬な発言も多い中央日報の社説が強烈に自己反省を促しました。いわく、「…1国のレベルと能力も災難と困難が迫った時に分かる。韓国のレベルは落第点、三流国家のものだった」と。これはまさに、韓国が目指してきたものは何だったのかとの深刻な問い掛けを発するものです。
http://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=184378&servcode=100&sectcode=110

やがてこうした自己反省が真っ当な方向に向かってくれれば、自らの社会がどういう姿を目指すべきかという議論も起きるでしょう。ちょうど東日本大震災と福島原発事故が日本社会にもたらしたように。

「目先の利益追求を最優先するのではなく、安全と安心そして他者の存在を大事にしよう」(これが本来の儒教社会のはずです)と韓国社会全体が考えるようになるでしょうし、「それをずっと前からできている日本を見習おう」という声も上がるのではないかとも期待できます(甘いでしょうか?)。そしてよく考える人たちからは、「米国やカナダで反日活動(抗日連合会など)に多額の税金を使っている場合じゃない。自分たちの社会をまともにするために税金を使うべきだ」「ひがみ根性から日本を貶めようと中国と手を結ぶことは自らの国を滅ぼす道だ」という冷静な声が上がることを期待したいものです。

ここで日本人として心しておかなければと思うのは、悲嘆に暮れる韓国社会に対し人間としての礼を失した「天罰だ」などといった言葉は投げつけてはいけないということです。どれだけ近年の韓国が日本に対し非礼を重ね侮蔑の言葉を投げてきていたとしても、です。例えば、安倍首相が「セウォル号の捜索に全面協力する」との姿勢を見せながらも同じ日に靖国神社に供え物を奉納したことで、「隣国に対し最低限の礼儀もない無恥の極み」という声明を韓国議員100人あまりが出したそうですが、そうした無礼さに対しては「ならば仕方なし」と無視すればよいのです。ムキになって同じレベルで口汚く罵り合うことは日本人の品性を下げるだけです。

数十年経って、韓国がまともな市民国家になっていればもちろん、もし中国の属国と化していたとしても、「あのころから日本と仲良くしていればなぁ」と彼らが反省することは間違いないのですから。