梨泰院の圧死事故が示唆する韓国社会の根本問題

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10月29日深夜、ハロウィーンでにぎわう韓国・ソウルの梨泰院(イテウォン)地区で、人並みに押しつぶされて150人以上が亡くなるという事故が起きました。亡くなった多くは20代・30代の若者。本当に痛ましい事故です。


当日の梨泰院での人出は10万人以上、現場では1平方メートル当りに10人という密集度だったとされています。まさに「立錐の余地もない」状態だったのです。



事故の直接の原因はあまりに多くの人数が、H字の両側の大きな道路から真ん中の狭い路地に押し寄せたことです。でも現地からの報道では「これは人災だ」という論調が強くなっています。


事故発生の3時間ほど前から、現場に来た人たちからの「人が多過ぎてこのままでは人が死んでしまう」という悲痛な通報が幾つも現地警察署に届けられていたのです。そもそも現地交番からは事前に危険が予告されて交通整備の計画書も提出されていたそうです。でも結局、警察は対策には動かなかったのです。


警察は別の場所でのデモ対策に大半の人員を投入し、現地に派遣された100人余りの人員は交通整理ではなく、周辺の店などでの犯罪予防対策に集中していたそうです。現場に到着した現地交番の警官たちは、あまりの群衆の多さに対し交通整理すらできなかったようです。


しかも報道によると、現地の警察署長と幹部は当夜は外食中で不在、緊急通報を総括する警察幹部も事故当時は連絡が取れない状態だったといいます。事前に危険が予告されていたとは思えない危機感の欠如です。


この事故の報を聞いて私が真っ先に思い出したのは2014年のセウォル号の沈没事故。このときは韓国の学生らを中心に304人が死亡し、142人が負傷しました。この事故も「人災」と判断せざるを得ないものでした。


私は50代以上の韓国国民と韓国の政治家には強い不信感を持っています。それは自分たちの社会の問題に自ら向き合わず、何かといえば「日本のせい」などと、問題をすり替えてきたからです。そして何かと日本からカネをせびることや技術・情報を盗むことを繰り返し、「相手が日本だから」とそれをよしとしてきたのです。


このような「他責」でアンフェアな国民風土が、人を大事にしない社会を作り出し、若者を苛烈な受験・就職競争に駆り立て、ストレスばかり与え、挙句は責任ある地位の人間の不注意や無責任による事故で若者を死なせてしまう。実に残念な国です。でも30代以下の若い世代には変化を期待したいです。