トヨタ復活の求心力は元「御曹司」・豊田章男社長

BPM

6月12日に 放送された「カンブリア宮殿」はトヨタ自動車社長の豊田章男氏を招いての拡大SP「25兆円企業 トヨタ復活劇の真実!~豊田章男 激動の5年~」。なかなか見応えがありました。

豊田社長は製品発表以外にあまりメディア露出をしないため、メディア嫌いといわれ、この番組でも冒頭に聞かれて、「まぁそうですね。でもこの立場になってそうとも言っていられないので、出てきました」と言っていました。正直な方ですね。

豊田氏が社長に就任してからの出来事は、過酷な試練の連続でした。2009年はリーマンショックにより71年ぶりの営業赤字。このときには名古屋港に販売が見込めなくなったトヨタ車が溢れてしまっていた(ので「JITは輸出向けには成り立っていないな」と感じた)のを覚えています。翌2010年にかけては世界規模のリコール問題が発生し、米下院の公聴会で豊田自ら証言する事態となりました。結局、運転手の問題だったことが判明していますが、当時はそれを証明できないまま(小生は冤罪の可能性が高いと言い続けていましたが)、議会での吊るし上げに遭ったのです。あれはひどいものでした。

そして追い打ちをかけるように起きたのが東日本大震災、さらにはタイの大洪水。それと重なるように超円高…(不況で大震災により疲弊した日本経済がなぜ円高だったのか、今も陰謀説が消えません)。こう考えると、トヨタに限らず日本経済には試練が続いた時期です。しかし創業家出身社長はそれらの危機を見事に乗り切りました。6年ぶりに過去最高益を更新し、世界初の1000万台販売を達成しています。小生は前の社長である奥田・張の両氏の経営を尊敬していますが、こんな逆境を見事に乗り切った豊田氏はもっと凄いと思います。

14年ぶりの創業家からの社長就任となった豊田章男氏は、創業者・豊田佐吉のひ孫です。佐吉翁は海外製しかなかった織機の改良に挑み、独自のカラクリ全自動織機を開発して莫大な富を築きました。その息子の喜一郎氏は、佐吉翁が織機で得た資金を大胆に自動車作りに投資、大衆国産車を作り上げました。

そんな先代たちのものづくりへの執念を受け継ぐ章男氏は、「300万台を死守する」と国内生産体制の維持を明言しています。そして今、新たな自動車産業の一大拠点を、大震災に見舞われた東北に作ろうと奔走中です。世界と闘うためにも、第三のものづくり拠点を成功させるべく、トヨタは地元企業の発掘・育成、そして地元学生の教育に精を出しています。

豊田氏が掲げたキャッチフレーズ「FUN TO DRIVE,AGAIN」は、父・章一郎氏が80年代に掲げていた「FUN TO DRIVE」を復活させたものです。これは豊田氏が数字の追求よりも「走る楽しみ」の追求を強くメッセージとして打ち出していることとつながっているようです。若い人が運転免許を持たずクルマに執着しない今、章一郎氏の時代以上にクルマの「走る楽しみ」を若い人たちに知ってもらいたいという切迫した危機感があるのだと思います。

豊田氏は自ら新車の最終審査のためにサーキットで運転して(ほぼ毎月のようです)評価したり、海外や地元のラリー大会にドライバーとして出場したりするなど、「クルマ好き」「現場重視」を体現しています。これは創業家ならではの仕事振りですね。

「もっといいクルマをつくろう」と熱く語る豊田氏には、純粋で誠実なニッポンの経営者の血脈を感じます。これがガイジンと評論家ばかりの日産、サラリーマンと北米ばかりのホンダ、インドばかりのスズキにない、「ニッポンのトヨタ」として応援したくなる要素ですね。