「開けてびっくり玉手箱」方式では会議の生産性は上がらない

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(以下、コラム記事を転載しています) **************************************************************************** 

ミーティングのその場もしくは直前に資料を配って説明から始める「開けてびっくり玉手箱」方式では、いつまで経っても生産性は上がらない。責任者はそう認識する必要がある。

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弊社が主導するコンサルティングプロジェクトでは、クライアント側のプロジェクトメンバーにも色々と役割を分担してもらうのが普通だ。その中の会議で、検討結果もしくは調査結果を短めの資料にまとめて報告していただくことがよくある。

その際には一つのルールを守っていただくことをお願いしている。それは「開けてびっくり玉手箱」方式はダメなことだ。オンラインでもオフラインでも共通する。

「開けてびっくり玉手箱」方式とは何か。直前まで討議用資料を配らず、会議の場で初めて目にする他のメンバーに対し資料の説明から長々と始めるという、悪い「お作法」のことだ(この命名は、依頼された趣旨を誤解したまま担当者が見当違いの資料を作成してしまい、会議当日その場で「違うじゃん」というのが判明したことから来ている)。

往々にして、資料説明とその内容確認のための質疑応答だけで大半の持ち時間を使ってしまい、肝心の中身に関する検討や、そこからの示唆や打ち手についての議論は深まらない。結果として「次回の会議にて改めて議論を続けましょう」といったオチになることすらあり得る。

本来どうあるべきか。小生が主導するプロジェクト会議では必ず、会議資料は事前に関係者間で共有しておく(プロジェクトメンバーならアクセスできるクラウドに放り込んで共有通知しておく)。事前といっても直前では意味がない。十分な余裕を持って事前に「予習」しておけるよう、通常は遅くとも前日には共有しておく。

そうしておけば、会議参加者は事前に資料を読み込んで(少なくとも一読し)疑問点や要確認点があればそれを頭の中かどこかにメモし(小生の主催する会議では、単純な確認の質疑応答は事前にやり取りすることを奨励している)、自分なりの意見を持って会議に臨むことができる。

すると討議のレベルが格段に上がるので、意思決定の質とスピードが段違いによくなる。質問のレベルすら確実に上がる。「開けてびっくり玉手箱」方式だと往々にある「少し先まで待てば説明される事柄」に関しお手つき的に質問がなされるといった、余計な時間を取られることもほとんどなくなる。

多くの人の都合を調整して折角集まった会議で、生産性の低いことに時間を浪費されることが減るということがどれほど有意義か、是非考えていただきたい。

この通り、「開けてびっくり玉手箱」方式というのは実に生産性の低いやり方だ。しかし世間には流布しているとみえ、小生が初見参のクライアントであるとか、既存クライアントでも説明者が初顔合わせで、小生がうっかり事前注意を忘れていたりすると、この「お作法」をお披露目してくれることが度々ある。

素人ばかりではない。少し前には、一緒のプロジェクトに参加していた経営コンサルティング会社の数人のコンサルタントが平気でこうしたやり方で発表しようとしていた。その会社では基本を教えていなかったのか、新たに参加するコンサルタントが次々と同じようなことをするので、その度に苦言を呈する羽目になってしまった。いい加減あきれた小生はプロジェクト・ルールとして新たに周知したものだ。

ではなぜ「開けてびっくり玉手箱」方式が漫然と繰り返されることがこれほど多いのだろう。一つには企業文化や慣習的なものだろう。小生が以前所属した組織では上から下までこうしたやり方だった。小生は自分の関与する範囲だけでも直すように努めていたが、他部署では疑問を持つことすらなかったかも知れない。

二つめには、日本の企業では能率を上げる意識や時間コストの感覚が以前は厳しく教育されていなかったという実情があろう。最近は随分とましになったようだが、平成の初め頃まではだらだらと長時間勤務することがあまり疑問視されておらず、会議の非効率さを正す動きも一部に限られていた。

そうした時期にビジネスの基本に関する教育を受けた人たちの多くは、根本の部分で時間コスト感覚が緩いように思われる(念のために申し上げておくと、小生自身は完全に昭和世代だが少々変わり者扱いされていた)。

三つめは、本人の「逃げ・言い訳」心理だ。あまりに事前に資料をアップ&共有しておくと、じっくり読んだ人から鋭い突っ込みを受けるかも知れない。それに耐えられるほど資料の完成度に自信がない。だから直前ぎりぎりまで可能な限り手直しし、完成度を上げておきたい。少なくともそうした姿勢を示したい。実に肝が細くて料簡が狭い。全体のことを考えていない。

とはいえ、この「完成度が低いままでは共有できない」という心理も分からなくはないので、小生はこう伝えるようにしている。すなわち「いったん出来上がった段階でなるべく早くアップ&共有通知してください。そして手持ちのほうのファイルを継続的に修正して、何度もアップし直してファイルを更新してもらって構いません」と。

こうすれば他の会議参加者は未完成かも知れないけどファイルを事前に閲覧もしくはダウンロードでき、大筋は把握できる。何の話か理解した状態で、または質問したい事項を頭に描いた状態で、会議に臨むことができる。完成資料の場合とそれほど大差ない状態にできるのだ。会議時の資料に、事前の資料に比べ一部追加修正が入っていても、誰も文句を言うはずはない。

「開けてびっくり玉手箱」方式が会議の生産性を下げる原因の全てではない。しかしこれを止めさせるか否かで大きな違いがあることは実感できる。少なくとも「開けてびっくり玉手箱」方式を続けるような会社やプロジェクトでは、いつまで経っても生産性は上がらない。