ADLのアラムナイパーティと高校同学年同窓会

ブログその他

先日、昔所属していた戦略コンサルティング会社、アーサー・D・リトル(ADL)の日本法人のアラムナイパーティ(OB/OGと現役の交流会)に参加しました。

コロナ禍で3~4年振りに参加したので、現役の方の顔触れは様変わりでした。しかも私たちの先輩世代は、まだ新型コロナの残滓が怖いのと、そろそろ夜のパーティはしんどくなってきた年齢のせいか、誰も来ていませんでした(コロナ前には一大勢力だったのに…)。お陰で我々が最古参世代になってしまっていました。驚きです。

さらに驚きは、ADL自身が着実に成長を続けて、今や200名以上の大所帯になっていたことです。私が所属もしくは幹部をしていた頃にはずっと、非コンサルタントのスタッフを含めても40名足らずだったので、様変わりです。

卒業生の人達のキャリアも様変わりです。以前だと、他のコンサル会社や研究機関に横滑り的に移る人が半分、あと半分は自らコンサル会社を興す人という感じでした(私のようにベンチャーの世界に行ったのは本当に少数派でした)。今回名刺交換した限りでは、大手コンサル会社の幹部、起業した人、著名な企業での重要ポジションにいる人、と多士済々でした。

戦略コンサルティング会社出身者の社会的地位が着実に上がったのと、ADL卒業生の価値が上がったのと、両方の意味を感じられます。いずれにせよ原田社長の手腕がこれだけの成果を生んだことに感謝し、感慨しきりでした。

その後数日して、今度は(私がン十年前に卒業した)四日市高校の同学年の集まりが都内であり(とはいえ、たった6人ですが)、参加しました。

これはこの9月に本物の同窓会が四日市であり(私は欠席)、それに参加したメンバーが「今度は都内で、しかも自分が上京するタイミングで」と言い出して急遽連絡が来たものです。

実は集まったメンバーのうち私を含め4人は一橋大学に同時期に入学・卒業した同窓生で、私は5人とは高校で同じクラスになったことはなく、高校時代は面識すらありませんでした(あとの5人は高校で同じクラスまたは中学が同じとかで旧友だったようです)。

そのせいで高校時代や大学時代の話題で全員共通なものが意外と少なかったこともあり、「大学卒業後の経歴や現在の状況」を一人ひとりしっかりと話すことになりました。

最初の一人は私と大学も同じ、そこでの自動車部でも一緒だった人間ですが、卒業後は銀行に就職した、最も「一橋出身者らしい」人間でした。でもバブル崩壊の大波を食らい、銀行もなくなった上に、(当時大ニュースになっていた)不正融資等の容疑で上層部が逮捕されたのです。その裏付け捜査などで数か月にわたり、業後何時間も(任意ですが)東京特別検察チームの取り調べを受けたという凄まじい体験を話してくれました(その供述内容などは聞いていませんよ)。

本人はまったく悪いことはやっていないのですが、彼は鍵を握るポジションにいたのです。随分とストレスフルな経験ですよね。しかも銀行倒産後に友人に誘われて転職した直後、転職先に馴染むべき時期にこんなことで貴重な時間を費やされた訳ですから、本当に大変だったと思います。

それでもその後、彼は持ち前の体力とバイタリティ、快活さで第二の人生を無事定年まで勤め上げ、最近は第三の就職先(これも金融関係)に巡り合ったそうで、本当によかったと胸を撫で下ろす気分でした(実は結構、心配していたのです)。

あまりにトップバッターの話が凄まじかったので、その他のメンバーの平穏無事な人生には正直、互いに拍子抜けしてしまいました。彼らは皆、最初に就職した会社(またはその後継会社)で定年退職まで過ごし、その後は暇に任せて趣味や農作業に没頭したり、フルタイムでない再就職を果たしていたり、年金だけに頼らない収入の多様化にも成功しているようで、これはこれで世の中的には恵まれた境遇にあるのだと感じました。

そんな彼らからすると、私のような経歴は随分と特殊です(自覚しています)。大体からして、一橋を出てメーカーに就職というだけでも少数派なのに、全然有名でも大企業でもない会社に入る。そこで9年も過ごした上で、私費で日本人のあまりいないテキサスの大学院に行き、MBAを取って帰国。

同じ外資系コンサル会社で8年もいた間には(ちょうどバブル崩壊で日本経済が混乱している時期に)日本で草分け的にやらせてもらったリエンジニアリングやリストラを散々やり尽くす。その後はベンチャーや合弁会社に出資&経営執行をやり(この時は本当に「切った、張った」の時代でした)、今度は日本ユニシスという大企業でまともな管理職もやらせてもらう(実に楽しい経験でした。唯一、部下の人事査定をすることを除けば…)。

その挙句またコンサル業界に戻って、しばらくしたら独立してコンサル会社を設立、クライアントにも恵まれて多忙を極める。まぁ同じ会社で一生過ごすことが普通だった彼らからすると「人の数倍の人生」という感じだったかも知れません(私自身はまだこの先、色々とやりたいことはあるのですが)。

でも「土曜半ドンだったらましなほうで、土曜いっぱい仕事なんて普通だよ」と話したら、ちょっと引いていましたね。確かにこの歳になるともう少し休みが欲しいのも事実です。でもお客さんのプロジェクトのことを考えると、そんなに休んではいられないのです。