日本人のノーベル賞連続受賞に沸く今こそ

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(以下、コラム記事を転載しています) ****************************************************************************

日本人のノーベル賞連続受賞に沸く今こそ、日本の科学技術が抱える深刻な問題点と懸念を共有し、社会全体として次世代の「技術立国・日本」のための障害を取り除く努力をせねばならない。

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日本人のノーベル賞受賞が続いている。科学技術立国を掲げてきたこの国にとって、まことに喜ばしいことである。長年にわたり研究に身を捧げ、成果を世界に認められた研究者たちの努力と情熱には心から敬意を表したい。

そして同時に、こうしたニュースが、科学技術分野を志す日本の若者に再び夢と誇りを呼び覚ます契機になることを願っている。近年、理系離れや研究者志望の減少が懸念されているだけに、この受賞ラッシュがその潮流を少しでも変えるきっかけとなれば幸いである。

しかしながら、華やかな受賞の陰で、日本の科学技術力の未来には深刻な懸念がある。

最も深い問題は、科学技術研究者、とりわけポスドク(博士研究員)の待遇の低さと雇用の不安定さである。いまや博士号を取得しても安定した職に就けないケースが多く、複数の任期付きポジションを渡り歩くことが常態化している。

研究に打ち込みたい若者が、このような不安定な職業環境に将来を託そうと思えないのは無理もない。人口減少が進む中で、研究職を目指す人材の母集団自体が縮小しているのが現状である。

この問題の根本には、政府による研究支援の絶対的な少なさがある。OECD諸国と比較しても、日本の研究開発投資に占める公的資金の割合は低い水準にずっととどまっているのが現実なのだ。

しかも、近年の政策の方向性には質的な問題もある。すなわち、「政府が重点分野を選び、資金配分を差配する」という発想そのものが誤っているのではないか。国際卓越研究大学制度などは、その象徴的な例である。

科学技術の革新は、往々にして予期せぬ分野から生まれる。数十年先の技術の萌芽を、政治家や官僚が見極めることなど不可能である。にもかかわらず、政府が「重要」とみなすテーマにだけ重点的に資金を投じる仕組みを強化すれば、結果として多様な発想が抑圧され、研究の裾野が狭まった上で「大外れ」に終わる危険性が高くなる。

科学の本質は自由な探究にこそある。国家は方向を指示するのではなく、研究者が自らの関心と問題意識に基づいて挑戦できる環境を整えるべきである。

懸念すべきは、政府だけではない。民間企業の研究投資のあり方にも偏りが見られる。

企業が基礎研究よりも応用研究、あるいは事業化に直結するテーマに注力する傾向が強いのは、経済合理性の観点から理解できる。しかし、それならばこそ、大学など基礎研究機関との連携を深め、長期的な視野で日本全体の科学技術基盤を支える責任を果たすべきである。

特に大企業には、短期的な利益追求にとどまらず、将来の技術的土壌を育む「公益的投資」という意識を持ってほしい。基礎研究は今すぐ売上に結びつかないかもしれないが、社会全体のイノベーション力を支える最も重要な礎である。

さらに、最近は別の形で民間企業が科学技術力の低下を助長しかねない動きを見せている。すなわち、デジタルトランスフォーメーション(DX)の推進を目的として、理系人材の獲得競争を大学院やポスドク層にまで拡大している点である。研究職を志す若手に対して、「待遇の低く不安定なポスドクよりも、我が社のDX改革に貢献して安定した職を得たほうがよい」という誘いをかける企業が増えている。

確かに個別企業にとっては即戦力となる理系人材を確保できるという短期的メリットがある。しかし、国家全体の研究力という観点から見れば、これはきわめて危険な流れである。将来の科学技術を担うはずの人材が、基礎研究の世界から早期に流出し、企業内の業務改善に吸収されてしまうことは、日本全体の技術的蓄積の断絶を意味するからである。

もちろん、企業のDX推進そのものを否定するつもりはない。むしろ企業がデジタル技術を活用して生産性を高めることは、日本経済全体の競争力強化にとって欠かせない。

しかし、DXの中核を担う人材が必ずしも理系出身である必要はない点を、企業は冷静に理解すべきである。

DXの本質は技術導入そのものではなく、事業構造・業務プロセス・組織文化といった“人と仕組み”の変革である。それを成功させるには、経営や現場の実態を深く理解し、論理的かつ俯瞰的に改革を設計できる人材が求められる。そうした能力は文系出身者であっても十分に発揮できるものであり、むしろ人や組織の動きを理解できる人材こそがDXを進める上での要である。

企業は「理系=DX適性」という短絡的な発想を改め、より広い人材観を持つ必要がある。

科学技術の発展は一朝一夕には成し得ない。ノーベル賞を受賞した研究の多くが、十年、二十年という長い時間をかけた基礎的探究の積み重ねの結果であることを忘れてはならない。短期的な成果や効率を追うあまり、そのような地道な研究が育つ土壌を損ねることは、日本の将来にとって取り返しのつかない損失となる。

今後、日本が再び科学技術の強国として世界に存在感を示すためには、研究者が安心して挑戦できる環境を整備すること、そして産学官それぞれが長期的な視点でその支援に責任を持つことが不可欠である。

ノーベル賞の受賞は、過去の成果を称えるものであると同時に、未来への責任を問いかける出来事でもある。受賞の喜びに沸く今こそ、私たちは日本の科学技術の未来像を真剣に考えねばならない。

自由な探究が尊ばれ、多様な若者が再び「研究者になりたい」と思える社会を取り戻すことができるかどうか。それこそが、次のノーベル賞を生み出す土壌を維持できるかどうかの分水嶺である。