パリ・オリンピックの所感

社会制度、インフラ、社会ライフブログ

パリ・オリンピック、半ばを過ぎましたね。予想通り寝不足気味ですし、予約設定しているドラマ等のビデオも溜まり続けています(「じゃあ予約するなよ」とのご指摘、ごもっともですがそれも嫌なのです)。

セーヌ川での開幕式。選手団よりダンサーが目立つ演出には意外な新鮮さと異論が混じったようですが、私は「見物客を狙ったテロが起きなくてよかった」という感想が一番強かったです。

前半では選手の活躍以上に、日本選手に対する不可解な判定が目立ちました(柔道、バスケ、サッカーが目立ちましたね)。米国のスポーツジャーナリストも指摘していましたが、日本の選手団・競技団体は「大した抗議もしない」と舐められているようで、このままでは今後も続く懸念があります。「今後の競技運営に協力しないぞ」と脅すこともあっていいと思いますよ。

競技別に云えば、柔道はテレビ中継を意識し過ぎているのか、「待て」と「指導」が乱発されていた感がありませんか。指導3つで反則負けになるケースが頻繁に出るのは興ざめです(たとえそれで日本選手が勝ったとしても)。

それにしてもSNSでの選手に対する非難・中傷は止めて欲しいものです(さすがに問題視されるようになりましたが…)。オリンピックだからダメなのではなく、人生を賭けて頑張ってここまできたアスリートたちに対し、その苦労をまったく知らない赤の他人の素人が素性を隠して勝手なことを言うのが、無責任かつ卑怯なのです。

例えば、柔道男子60キロ級で「待て」宣告後も永山選手を締め続けたスペインのガリゴス選手に対し、多くの日本人から非難が殺到したそうです。でも当人は「『待て』が聞こえなかった」と言っています。確かに、観客が多く入った会場では審判の声が聞こえなくなることはあり得ます。

おかしいのは、自分で「待て」と言っておきながら、対戦している2人の状態を確認したり肩を叩いて解放を促したりせず、解けた後に「落ちているから」という理由で「一本」とした主審です。非難する相手を間違えています。

また、女子競歩の岡田選手と柳井選手が20kmを辞退して男女混合競歩リレーに専念したことに対し非難の声が上がったといいます。でもこれは選手・コーチと日本陸連が「より高い順位を獲得する」ために話し合って決めたことだし、そもそも選手には選択の自由があります。事情を知らない人が匿名のSNSで(つまり陰に隠れて)非難・中傷するのは筋違いです。

それにしても(前回大会と違って)大勢の観客の前で試合ができるアスリートの皆さんの弾けるような笑顔、こちらも幸せになってしまいます。やっぱりこれが本来の姿ですね。