無責任なスピーチに戸惑った夜

先日、あるパーティでの話です。乾杯のスピーチをされた方はその会の長老的な存在で、すでに90の坂を超えています。ご自分でも「最近は体力も記憶力もなくなっている」といった趣旨のことを話されていました。ご老人ばかりの会合だとこの手の話が数10分も続くのですが、さすがにその会の平均年齢は30後半から40代程度なので、しばらくするとその話題は終わりました。

それから時事問題から米中関係の悪化に話題は移り、やがて「今はまるで大東亜戦争直前のような、嫌な感じだ」という話になりました。確かに米中対立は当時の英仏と独の対立や、戦後の米ソ対立のような感じに似ているのかも知れません。少なくともその長老は当時、少年ではあっても時代の空気を吸っていた訳ですから、一聴の価値はあるとも思え、ちょっと興味も湧きました。

しかしそこから急きょ話は変遷し(実際、その時のスピーチはかなりとりとめのない調子で、どんどん話が飛んでいました)、今度は「日本が軽視されている」という話になりました。要は、以前と違って米国からも軽んじられ、中国からも追い越されて自らの将来図を描けないほど国力が劣ってしまった、嘆かわしい、といった調子の話になってしまったのです。

正直、この時点で「あれ?」と思いました。その長老は、昔は「カミソリ○○」と一部経済界で呼ばれるほど鋭い批評眼と頭脳を持っていたはずなのですが、さすがに寄る年波に勝てずに「ちょっと痴呆の気が出てこられたのか?」と思った次第です。でも話の内容からするとそんな訳でもなく、むしろ本気で今の日本経済の縮小ぶりやイノベーション停滞などを嘆いているのです。

その認識自体は間違っていないのですが、2つの理由で私はかなり違和感を持ちました。一つはそのパーティの趣旨とまったくズレているからであり、もう一つはそうした日本経済の停滞ぶりを招いたのは、実にその長老たちの世代のせいでもあるからです。

後者の理由については補足が必要です。その長老たちの世代の経営者というのは、日本経済の一時的な成功にかまけて、働き盛りの後半から終盤にかけて、経営者として、またはその地位にある人達への助言者・監督者として、安直な判断(例えば人件費カットや人減らしによるコスト削減)を繰り返し、「失われた30年」をもたらした張本人達だからです。

もちろん彼らだけが主犯ではありませんが(金融界や政界なども同罪だし、多くの電機メーカーの経営陣のような情けない敗戦を繰り返した連中も戦犯です)、少なくとも彼らが今の状態を嘆くのは無責任な批評家的態度と思えます。30年前から20年前にかけて主要な経営者や役人たちがもう少しましな経営を行っていたら、こんな体たらくにはなっていなかったと思わざるを得ません。

そして嘆くばかりではなく、多様な経験を重ねてきた立場から、建設的なアドバイスや新たな視点を投げかけるべきではないでしょうか。少なくとも私はそうしたいと考えています。