“超監視社会”の功罪両面を考える

グローバル

アマゾンによる買い物・検索記録に基づくレコメンデーションや、グーグル検索によるプッシュ広告(仕事で検索した外国の会社の広告が出てくるのですぐに分かる)、facebookによる「友人ではないですか?」プッシュメッセージなどは、小生は非常に気色悪く感じるが、「便利だ」と好意的に捉える人たちも多くいよう。

しかしこれらはいわば自分のプライバシーを少しずつ大企業に譲り渡しているようなものだ。それらがいつ第三者経由で漏れ、悪用されるかも知れないと警戒すべきなのだ。事実は、第三者経由ではなく直接悪用される可能性も高まっている。Facebookに友人や家族の写真をタグ付きで載せまくる行為は、プライバシー情報のダダ漏れを招いているのだと自覚すべきだ(幸いにしてウチの家族はこうした行為に伴うリスクをよく理解しているので、ほぼしない)。

日本人と米国・欧州人とでは、何をプライバシー侵害として不快・不安に思うかが異なる。

米国人は利便性とプライバシーを秤に掛ける感覚が強く、「そこまで便利だったら(またはそこまでの必要性があるのだったら)OK」としてしまうところがある。導入まではかなり議論をするが、一旦導入したら制度の便利さを享受する(尤も、「愛国者法」に伴う各種の法制度はかなりいい加減なようだが)。

欧州人はかなり個人の自由というものへの価値を大切にするので(つい最近まで共産陣営が近くで締め付けを行っていたので、当然なのだが)、政府や大企業がプライバシーを握ることへの抵抗が強い。

日本人はそこまでロジカルに考えてではないが、大企業がプライバシーを握ることには生理的な嫌悪感がある。最近は政府機関への不信感も高まっているので、マイナンバー制度や軽減税率に関する財務省案をきっかけに、この問題はもっと議論されよう。

米国ですら政府がテロ・犯罪対策で行うことには功罪両論ある。おしなべて共和党系の人のほうが「防犯容認派」だろう。

9月10日(木)に放送されたBS世界のドキュメンタリー「“超監視社会”に生きる」(NHK)は幾つか重要な論点を提供してくれた。原題は”An Eye on You, Citizens Under Surveillance”、制作はARTE France / INTUITION Films & Docs / Les Bons Clientsというフランスの会社、2015年の作品だ。

原点は「現代社会においてプライバシーを守る方法はあるのだろうか?」という疑問だろう。私たちのネット上の行動はすべて記録され、保存されている。それを色んな組織・機関が利用している。

ルイジアナ州など一部の州や都市では積極的に協力して自らの家に設置したカメラの画像を提供する住民の動きすらある(実は日本でも北千住商店街などはかなりの数の防犯カメラ設置が犯罪発生率低下・検挙率向上につながっている)。メンフィス警察やサンタバーバラ警察などは過去の犯罪発生パターンを細かく分析することで時間帯ごとの犯罪発生スポットを綿密に予測し、多大な効果を上げている。

実は小生もこうした実態を調査したことがあるので、防犯効果を非常に高く評価する人間だ。街じゅうには防犯カメラが分散設置されているので公共の場所には既にプライバシーはほとんどないという前提の下、むしろそれらカメラをネットワーク化して、真に犯罪者検挙のために効果的ならしめて欲しい、と考える口である。
http://www.insightnow.jp/article/8052

しかし一方で、政府が防犯・テロ対策の名目でなんでもやっていいとは全く思わない。例えば、米国のように同盟国の重要人物の通信を傍受する行為は許すべきではない。

スノーデン氏が暴露したように、米国IT企業の通信設備を通じて、世界中の一般市民の通信データを傍受・蓄積する仕組みを持つというのは世界への挑戦とすら言える。民主主義でない国が真似をすることに抗議する資格を自ら放棄するものともいえるだろう。

欧米でも、政府や企業によるデータ収集は、民主主義と個人の自由を脅かすものであり、よりアクティブに自分たちの権利を守るべきだと主張する専門家も多い。元CIA職員やハッカーなど、最前線にいる当事者たちの証言でさえ賛否両論に分かれている現状をよく伝えてくれた番組だった。さすが米国主導のIT社会に批判的なフランスらしい内容だった。