紛争仲裁請負人の活躍と中国の行く末

グローバル

先週放送されたNHKスペシャルの録画を観た。「中国激動 怒れる民をどう収めるか ~密着 紛争仲裁請負人~」というタイトルである。経済発展の一方で貧富の格差が広がり、地方では政府と住民の対立が深刻化している。その典型的な一例を採り上げ、紛争仲裁請負人が地方政府と住民の間の仲裁をする姿を描いていた。

中国では年間20万件ものデモや暴動が各地で頻発している。背景にあるのは昔のような「重税にあえぐ農民」といった姿ではない。中国では建前上、土地所有権は共産党政府にあり、住民は使用権を与えられているに過ぎない。地方政府は開発対象地域の農民や住民を僅かばかりの補償金を握らせて強引に追い出し、土地開発業者に使用権を売るのである。地方政府にとって貴重な収入源であり、役人にとっては業績につながる。その後、開発業者が商業施設やマンションなどを建設して販売、莫大な利益を上げるという図式である。

一方、追い出された農民には農業以外にスキルがなく、無職の状態が続く。やがてなけなしの補償金も使い果たしてしまう。必然的に地方政府に対してさらに補償金を要求するが地方政府は拒否する。生活に困った元農民の訴えは無視されるか暴力で黙らされる。それでも抗議する人が集まりデモで訴える。開発を妨害する。地方政府は暴力で鎮圧しようとするが、やがて暴動にまで発展する。

この番組で取り上げたケースでは、住民との対立で開発がストップしてしまい困ってしまった地方政府(江蘇省灌雲県)が民間の紛争仲裁請負人(周鴻陵氏)に相談を持ち掛けた(異例のことである)。対象の陸壮村の住民350人の大半は既に立ち退いており、立ち退き料(約200万円)は底をつき掛けている。地元政府に窮状を訴えても取り合ってもらえない。ある意味もう失うものはない。地方政府に対しては不信感と恨みしかなく、開発を進める地方政府と業者に対し過激な妨害に走る。要求もエスカレートしがちだ。

一方、灌雲県の住民交渉担当者(孔慶幹氏)は典型的な地方役人で、住民を暴力で脅して言うことを聞かせるものだという思想の持ち主。開発の利益を住民にも与えるなどという発想はないが、何とか住民を大人しくさせる手段はないかと模索している。

この2者をまず同じテーブルに着かせ、意見を言い合わせるところから紛争仲裁請負人の仕事が始まるのだが、予想通り、両者は自らの言い分を主張し相手を非難するばかり。相手の話を聞いて妥協の余地を探る気持ちはない。周氏の次のステップは住民グループの取りまとめ役を決めるよう持ち掛けること。地元政府にも住民グループ代表と交渉するよう持ち掛けるが、住民交渉担当者の孔氏はそんな交渉をしたことがないし、住民からの搾取しか地方政府が業績を上げる手段はないと本音をいう。

やがて2月の旧正月を迎えた北京には、地方政府の横暴を直訴し中央政府に陳情するために上京する地方住民が集結する。そんな折、陸壮村の強硬派の一人、趙さんが上京し行方不明になる。中央政府に地元のトラブルを知られることを恐れた孔氏の差し金で趙さんを北京で掴まえ拘束したのである。ほとんど暴力団のやり口である。しかし趙さんは脱走。この機を捉え周氏は灌雲県の幹部を呼び出し、住民との妥協を交渉する。幹部は取引に応じ、住民側も妥協にまとまる。

しかしそのタイミングで工事の遅れに業を煮やした開発業者が強引に工事を再開しようとし、怒った住民と衝突。住民代表が開発業者を止められなかった地方政府に抗議するが、灌雲県の孔氏も一方的に住民側を非難する(この人物は全く学習しない)。せっかく妥協しようとした両者だが、一歩間違えれば決裂する手前まで来る。周氏はこの後も根気強く仲裁を続け、署名をまとめるよう住民代表に働き掛けるところで番組は終わる。それにしても、やはり交渉ごとは相手を見定めないと難しいことがよく分かる。

周氏が中央政府の幹部候補生の研修教材に書いた言葉、この国の実情を表す「帯血的GDP」(血に染まったGDP)は象徴的である。今の中国の発展は幾多の人々の犠牲の上に成り立っていることを意味する。周氏は中央政府に「住民と平和的に対話せよ。さもないと暴動がエスカレートし国は滅びる」と訴えたいのだ。この国の行方は険しい。