日本人らしい技術・品質・きめ細かさで新興国市場を切り開く

グローバル

12月27日(金)に放送されたガイアの夜明けスペシャルは「新興国を切り拓く!独自の手法」と題した年末特別版。

大きな経済成長が望める、東南アジアやアフリカなどの新興国市場を狙って、世界の様々な企業が進出している。一方、日本企業は一部の東南アジア以外ではかなり出遅れている。単に拠点を作り、人員を派遣するだけでは、なかなかライバルに追いつけない。そこで、これまでにない独自のやり方で新興国市場を開拓し始めた企業がある。番組では、ホンダ、双日、パナソニックの挑戦を採り上げていた。以下ではホンダとパナソニックの話題をフォローする。

本田技研工業はバイクメーカーとして東南アジアを中心に高いシェアを誇り、世界シェア28%とトップ。しかしアフリカでは大きく出遅れており、シェアは1%足らず。工場も販売網もないケニアでは0%。ホンダは10年でアフリカのバイク市場が倍になると予想していたが、新たに本格的な工場を建設するとなると、投資も巨額になり数年はかかってしまう。そこでホンダは、KDP(かんたん・どこでも・パック)と名付けた戦略で攻める事にした。

ホンダモーターサイクルケニアの今里康弘社長が案内したのは、ナイロビ市内にある工業団地。KDPとは、少ない費用で短期間に「町工場」を作る戦略だった。7月になると日本の工場からエキスパートたちがやってきて、工場立ち上げサポートを行い、数日後には製造ラインが完成した。本格的な製造ラインであるアストラ・ホンダ インドネシア第3工場で、は8,000人がバイクを作り続け、7秒に1台が生産される。一方、KDP方式では、投資額は全て合わせても5千万円弱だ。

現地法人の今里社長は数ヶ月にわたって市場調査を行なっていた。バイクタクシーの運転手に話を聞いてみると、インド・バジャージ社のボクサーというバイクが人気だった。日本円で約12万円。中国製よりも若干高めだが品質もよく、人気となっていることが分かった。

その頃、工場では秋からの稼働に向けて、現地スタッフの教育がスタート。最初のスタッフは7人、全員が未経験者だった。組み立て担当には2人の女性が抜擢された。フェイスさんは工業系の学校を卒業した人で、もう一人のマセキさんも元々エンジニア。この2人を指導するのが、日本から来た来年定年を迎える鶴田博光さん。自動化されていないため、手作りが基本となり、その分しっかりと作業工程を覚えるのが重要だった。

鶴田さんは約25年に亘り海外の工場を指導し、約20か国で工場の立ち上げに携わってきた。しかしKDPは今回が初めてで、これまでとは勝手が違っていた。1か月の指導で2人のケニア人女性も作業に慣れてはきたが、課題はハンドル操作に直結する前輪の取り付け。職人ならば肌で感じる感覚を伝えるのに苦労していた。鶴田さんは作業の手順をイラスト化し、気をつける点を細かく記した製作マニュアルを作り、現地スタッフに手渡していた。彼らが自ら考え技術を向上させるようにとの意図だ。

午前7時、リーダー候補のフェイスさんが提示よりも時間早く工場に出勤し、相棒のマセキさんも早朝出勤していた。2人は自主的にその時間から組み立てを特訓し、困った時はマニュアルを確認していた。苦労していた前輪の取り付けにも慣れ、2人だけで1台のバイクを組み立てる事が出来るようになっていた。

工場立ち上げから4か月後の11月。町にはホンダの大きな看板が登場。工場にもホンダの看板が掲げられていた。鶴田さんも工場の最終確認に訪れていたが、そこではフェイスさんをリーダーに、次々とバイクが作られていた。今は1日20台の生産ペースだが、将来的には1日100台を目指しているという。

ナイロビの工場では11月12日にセレモニーが行なわれ、工場立ち上げから4か月でバイクのお披露目が行なわれた。売り出されるのはバイクタクシー用の新モデル。客がゆったり座れるシートと足を乗せられるステップを標準装備していた。

ケニアの中でもバイクタクシーが多く集まるキタレという町。今里社長が、オープンを翌日に控えた販売店を訪れた。オープン前にもかかわらず店には多くのバイククシーの運転手が集まり、試乗用のバイクに興味津々、好評価だった。シェアゼロからのホンダの逆襲がここから始まると期待しよう。

もう1社はパナソニックの奮闘。2年前から民主化へと急速に舵を切りはじめたミャンマー。経済は急速に発展し、2012年の実質経済成長率は6.5%。

ヤンゴンにある人気のショッピングセンターの家電売り場ではパナソニックをはじめ、サムスンやフィリップスなど様々な国のメーカーの製品が並ぶ。パナソニックのミャンマー支店長の前田恒和さんが訪れたのは、サックイン村だった。約1000人が居住する小さな村だが、電気が通っていない。国際エネルギー機関の調査によればミャンマーの無電化率は51%で、半数以上の人が電気のない生活を送っている。

しかしそんな村々にも携帯電話は普及しており、電話を充電するためわざわざ近くの村まで出かけているという。日が暮れると真っ暗闇の中、ロウソクの灯りに頼る生活。村人は今一番、明かりを求めていた。この切実な訴えにどう応えられるのか…。

パナソニックには秘策があった。買収される前の三洋電機がソーラーランタンを開発していたのだ。しかしそのままでは、子供たちが勉強するには明るさが不十分だった。そこでパナソニックでは、ソーラーランタンを改良し、大々的に無電化地域に売り込むことが決まった。

後日、前田さんのもとに、新たに開発されたソーラーランタンが届けられた。以前のものよりも随分コンパクトになり、最大で従来の3倍の明るさで、6時間の充電で最長90時間の使用が可能、とかなりの進歩だ。パナソニックは2014年1月からこのソーラーランタンをミャンマーで発売する。販売価格は約5000円で10年は使える商品だ。

前田さんはパティンという地方都市で売込みを行なった。電気店には中国製の1000円以下のソーラーランタンが並べられていたが、お店の人によれば4~5ヶ月くらいか使えないという…(さすが中国製)。そのお店にはパナソニックのソーラーランタンを置いてもらえることとなった。

翌日前田さんはソーラーランタンを手に、再び無電化地域のサックイン村を訪れた。真っ先に以前伺ったフェラーリさんの家を訪れ、ソーラーランタンを手渡した。この商品には携帯電話の充電が出来る機能もあり、これでわざわざ携帯の充電のため隣の町まで行く必要もなくなることにフェラーリさんらは感激していた。ランタンが吊るされた家の中は灯りで照らされ、顔を見て会話をする事が出来る。ロウソクの光で4時間も勉強していた、弟のイェ・ウィンくんの元にもランタンを届けると、彼の顔が輝いた。

翌日、再びサックイン村にソーラーランタンを持ってきた前田さん。村人達総出の民族舞踊で出迎えてくれた。前田さんは完成したばかりのソーラーランタンを15個、村に寄贈。電気がない地域にもこの商品を届ける事でパナソニックのファンになってもらい、将来電気が通った時にパナソニック製品を買ってもらうことにつながるという。パナソニック本社には色々と問題がありそうだが、現場で奮闘する社員たちは一途である。

夜に地元の学校を訪れると、そこでは寄贈されたランタンが灯され、灯りのもとで高校生達が勉強していた。彼らは明かりに集まる虫を気にかける事無く、勉強に集中。本当に嬉しそうだった。届けた商品が人々を豊かにしていく…そんなビジネスの原点が新興国にはある。とても素敵な光景だった。