投票せずして何もいう権利なし

ビジネスモデル

参議院選挙は予想通りの結果に終わった(小生自身が直前まで投票先に迷った実感から、なぜ「予想通り」になるのかが未だに不思議で仕方ないが…)。今回一番残念なのが、(政党間の勝敗・浮沈ではなく)投票率の低さである。まさに「事前予想通り」低かったのである。組織票を当てにできる一部政党からすれば「しめしめ」といった感覚だろう(実際、何回か前の国政選挙で当時の森首相が「(投票に行かずに自宅で)寝ていて欲しい」と発言したことがあった)。

そして幾つかのメディア紙面やサイト上で、投票しなかった連中のもっともらしいコメントが載っていた。いわく、「忙し過ぎて(投票に)行く暇がなかった」「自民が勝つことが分かっていた」「自分一人が投票したって結果は変わらない」「投票したい政党・候補者がいなかった」…等々(そもそもこんなコメントをいちいち採り上げるメディアの神経がおかしいと小生は思うが…)。

当人たちは政治家や世の中に対し抗議の意思を表明している気になっているようだ。でも客観的に言って、無投票もしくは白票を投じるというのは、よく言って多数派に委ねることであり、悪く言えば「煮て食おうが焼いて食おうがあんたの勝手にしていいよ」という「恭順かつ意思放棄」の表明である。身近な例でいえば、住んでいるマンションの住民総会での欠席であり、子供の学校でのPTA総会での欠席も同様である。特別関心のあるイシューがない場合にはそれでもいいが、気にはなっていながら参加・投票しないのは、「多数派に委ねます」という行為に他ならない。それを抗議票だと主張することがいささかでも正当化されるのは、自由選挙が許されていない発展途上国での場合だけである。

今の世の中、圧倒的に投票率の高い老人たちに有利な仕組みになっている。当然である。政治家は選挙で落ちれば只の人である(大概は手に職を持たないので、なおさら惨めである)。選挙で落ちたくなければ、投票する可能性が高い連中の意向に沿うのが政治家の行動として当たり前である。したがって投票率の低い若い世代が割を食っているのは理の当然、自業自得なのである(こうした状況がいいことだと言っている訳ではない、念のため)。

言い換えれば、「世の中の仕組みがおかしい」「もっと〇〇をXXすべきだ」と公言するならば(家族以外の人に職場以外に関する愚痴・不満をこぼすならば)、せめて投票してからにして欲しい。

20~30代の若い層の人たちが職や給与で割を食い、そして年金制度で掛け損になるのが目に見えていることに対しては同情するし、小生はそうしたことに関心の高そうな政党に投票する。しかし肝心の当時者である20~30代の人たちが投票場にすら行かないとしたら、何をか言わんやである。世の中の仕組みが悪いのを旧い世代のせいにするのは若い世代の特権である。そのことに声を上げ、投票で意思を表して、それでも変わらないのならデモでもそればよい。しかし、投票もせずに愚痴をいうのは、ぐーたらな自分に言い訳をして何も行動しないまま負け犬になるための近道でしかない。

ちなみに、今回棄権した連中の1~2割が特定の政党に集中投票していたら、各地の選挙結果は全く変わったかも知れないと、選挙結果を分析した専門家がコメントしていた。つまり彼らの投票は実は凄いインパクトを持っているのに、本人たちは気づいていないのである。