地位は“年功序列”でも“成果主義”でもなく、“能力”主義であるべき

BPM

10/14(火)の日経プラス10の特集テーマは“脱・年功序列”は日本企業に根付くのか!?“でした。

どこまで真剣に考えているやら怪しいものですが、安倍総理が「年功序列見直し」を日本企業に提言したのが注目されています。実際、最近は日立や楽天・ファスリテなどのグローバル展開中の企業が世界で人材獲得するために、日本に特異な人事制度を止めたというのは大きく報道されているようです。

でも一方で、一時流行した「成果主義」に対する反省から人事制度の再改革に取り組む企業も少なくありません。この放送回では“脱・年功序列”派としてジョーズ・ラボの城繁幸氏と、“脱・年功序列”見直し派として城南信用金庫理事長の吉原毅氏を招いて徹底討論という趣旨でした。

しかし結論からいえば、“年功序列”対“成果主義”という構図がそもそも間違っているのです。2人の識者は意見対立するというより、同じような意見の持ち主で何を強調するかの違いに過ぎないと思えます(それを分かっていないのはテレビ局側かと)。

城氏が主張するように、古臭い単純な“年功序列”(=能力に無関係に年功だけでポジションが上がる制度)はもう維持できません。旧態たる年功序列を維持するための年功カーブによる給与報酬制度では若年層が離職することは事実です。しかし吉原氏の主張するように、賃金を人事制度の中核に置くことは間違いで(「成果主義」が失敗した本質的理由の一つです)、それは色々な研究で証明されています。むしろ人は仕事の意味と仲間の評価によってやる気を上げるのです。つまり賃金は不平不満の立派な理由になりますが、やる気にはつながらないファクターなのです。

そしてもう一つ、吉原氏の主張するように、短期的な成果だけを評価して管理職に引き上げる抜擢人事をしても、本人・周り・会社とも不幸になるだけ。プレイヤーとして優秀でも監督として優秀とは限りませんというのは2人とも異口同音に言っています。人事制度が成果主義に走ると、むしろイージーな目標設定に汲々し、チャレンジしないようになります。肝心なのは(多少時間をかけても多角的多面的な評価により)当人の「能力」を見極め、それに応じた仕事・肩書きを与えることです。

したがって必要なのは、仕事・地位と報酬の根拠をちゃんと整理して区分することです。仕事・地位は“年功序列”でも“成果主義”でもなく、“能力”に基づくべきこと。報酬は役割(仕事・地位に基づく)と成果に基づくということです。人事部と経営者、人事コンサルタントにはこれらを混同している人が多過ぎます。