元日本ユニシス社長・籾井氏の実績を考える

BPM

NHK次期会長に内定した元日本ユニシス社長・籾井氏に関して、少々辛口のコメントを日経ビジネスの記事で読みました。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20131224/257464/?P=2&ST=smart
いわく「1度目の落下傘降下は失敗」「2度目の落下傘降下は成功なるか?」ということでした。全体的には正しい指摘と感じましたが、一部は正確ではありませんので、補足したいと思います。

【記事】―籾井氏が日本ユニシスの社長を務めていた6年間で「日本ユニシスが大きく変わったことはない」。むしろ経営状態は悪化した。
実は大きく変わったことはあります(後述します)。それに続いて、記事は具体的な数値を追います。
【記事】―籾井氏が就任する前の日本ユニシスの年間売上高はほぼ3000億円でずっと横ばいだった。2005年6月に社長になってすぐ、籾井氏は「5年後に5000億円にする」と述べた。2007年度に3377億円と日本ユニシス史上、最高の売上高を記録したものの、それ以降は減収減益が続き、籾井氏が社長を務めた最終年度である2010年度には2529億円と、史上最低になってしまった。
これはその通りですね。

少しですが同情している部分もあります。
【記事】―2008年のリーマンショックの影響があり、他のIT企業も業績不振に苦しんだ時期であったが、…
公平を期すために補足すると、リーマンショック直後にSI業界の仕事は、案件が数割、単価も数割、それぞれ落ち込みました。掛け合わせて売上が半減した社も多くある中、むしろ同社は健闘したほうだと思います。案件は1年もせずに少しずつ回復しましたが、一旦落ち込んだ単価はなかなか元には戻りません。SI業界の売上は数年に亙って低迷せざるを得ませんでしたし、同社も例外ではあり得ませんでした。

むしろ記事は同社の低迷の原因を別のところに求めています。
【記事】―…日本ユニシスの場合、籾井氏が指揮した企業買収の失敗があった。2007年5月、ネットマークスというネットワーク機器の販売会社を買収し、売り上げは増やせたものの、買収直後にネットマークスにおける不正取引が発覚、日本ユニシスは投資価値を一気に目減りさせた。
このこと自体は事実ですが、それは株価低迷の主因の一つであって、業績低迷の主因ではありません(経営陣の時間が削がれたのは事実ですが、現場が支えるタイプの会社なので、あまり関係ないでしょう)。それにネットマークスにおける過去の不正取引を見つけられなかったこと、もしくは瑕疵担保条項を付けなかったことは主に専門部隊の責任であり(せめて小生たちベテラン経営コンサルタントにデューデリをさせてくれたらよかったのですが)、M&Aに関して素人の籾井さんに全責任を負わせるのは酷でしょう。

記事はさらに続きます。
【記事】―籾井氏は売上高を5000億円に引き上げる施策として、サービス事業の強化と企業買収を上げていた。だが、サービス事業は技術者を動員し、顧客のソフトを地道に開発するもので、総合商社のビジネスとはまったく違う。
というのはその通りですが、
【記事】―籾井氏は講演で指摘した「曖昧な商慣習」「コミュニケーション(相互理解)の欠如」「赤字プロジェクト」「高度技術者不足」という問題を解けなかった。
というのは一部間違っています。

籾井経営陣は実際に赤字プロジェクトを無くすための施策(実は前から検討されていた内容らしいですが)も実行し、どんな案件でも闇雲に取りに行くことをなくしました。

でも半面、「曖昧な商慣習」「コミュニケーション(相互理解)の欠如」に対する有効な施策だったはずの、前任者の進めた「上流コンサルティング力の強化」には熱心ではありませんでした。これは小生自身が関わったことなので、残念ながら明言できます。詳しいことは省きますが、折角育ってきたコンサルティング部隊のリソースを上流コンサルティングに注ぐ代わりに、特に新規事業開発業務にシフトさせようと少々無理もした(籾井さんが主導したというより、取り巻きにそそのかされのかも知れませんが、SIビジネスを最後までよく理解できなかった彼は、「次の柱を探せ」と躍起になっていたそうです)結果、新規事業開発の苦手な、業務コンサルティング一筋の人たちの居場所がなくなる可能性が少しずつ強まってしまいました。それを強く懸念し、外に彼らの居場所を見つけようと考えた小生が退職したため「防波堤」が減ったこともあり(この判断は失敗だったと今でも反省しています)、同社は苦労して集めた多くの優秀な人材をどんどん流出させてしまいました。

その一方、籾井さんには大きな功績もあります。それは出身の三井物産から自分の後任を出させず、生え抜きの黒川氏を後任社長に据えたことです(多分、その後の物産からの株式放出もセットだったと思います)。この「置き土産」こそが籾井さんの最大の功績であり、「剛腕」の彼でしかできなかった経営施策だったと、小生は思います。