人工知能によるシンギュラリティをどう考えるか

ビジネスモデル

2月3日(金)に放送された“寺島実郎の未来先見塾~時代認識の副読本~「人工知能時代の光と影」”はなかなか見応えがあった。
https://www.youtube.com/watch?v=_HH_LHvBa7U

ゲストに日本のコンピュータ技術に創成期から関わり、人工知能を研究し続けている西垣通氏(東京経済大学コミュニケーション学部教授)を迎え、人工知能がもたらす可能性と危険性をはじめ、人工知能に関する深い知見を伝えていただいた。

まずコンピュータの進化と共に生きた西垣氏は、過去からの経緯を踏まえ、それぞれの発展段階のキーワードを示した。第一世代は「論理」、第二世代は「知識」、今の第三世代は「統計」だという。「情報量が爆発的に増えてくると人間ではハンドリング出来ないという状況がある」というのは著書の「ビッグデータと人工知能」でも示されている見解の通りだ。

「人工知能の光と影」という議論においては「シンギュラリティは近い」(レイ・カーツワイル著)と、「人工知能」(ジェイムズ・バラット著)の2作が代表的論者であり、対照的である。その議論の背景にあるのが西洋における、絶対神を崇める一神教の考え方だという指摘は面白かった。「人間とコンピュータのどちらが地上の支配者でいられるか」という観点から語られるということだろう。

「シンギュラリティ(技術的特異点)」に関連し、「賢さとは何なのか」に関して2通りの観方が西垣氏から提示された。一つは「生命体がどう上手に生きていくのか」、もう一つは「絶対的真理にたどり着くためのもの」という考え方である。生命体(人間)というのは、今、この瞬間に生きているが機械は過去のデータを収集して統計処理をして答えを出す。人間は新しい状況下のもとで何とか手立てを考えるが、機械=コンピュータは今までの元で合理的な考え方を出すという違いだ。

つまり、やはり課題設定は人間が行い、それに関する解決策のための情報収集・分析はコンピュータが行い、最後は人間が判断する、という役割分担に落ち着くのだろう。肚落ちした。