人は誰もが「ごちゃ混ぜ」の中で暮らしたい

社会制度、インフラ、社会ライフ

最近起きた最も衝撃的で凄惨な事件の一つが神奈川県の「津久井やまゆり園」での障碍者19人を殺害事件だ(亡くなった方々のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族にはお悔やみ申し上げます)。

犯人が施設で働いていた男でありながら、事前に衆議院議長宛に犯行予告めいた手紙を出していたこと、そして緊急措置入院させられながら退院し、継続監視もないまま今回の犯行に至ったことなど、やりきれないことが重なっている。日本におけるシステムの欠陥が露呈したことは明白だ。

それとは別に今回の事件で改めて気になったのが、障碍者が多数、人里離れた場所で暮らしており、それを閉じた空間の中で世話する専門の人たちが大勢いるということだ。まるで「隔離」されているようで、違和感が強い。実は高齢者介護施設についても同じ違和感を抱いてしまう。本来、社会には多様な人たちがおり、障碍の程度の多寡にかかわらず、もしくは老いも若きも幼きも一緒に泣き笑いするのが自然のはずだ。

7月21日 放送のテレビ東京系「カンブリア宮殿」で採り上げた「ごちゃ混ぜの街作りで地域活性! 金沢発!大注目コミュニティの全貌」は、そんな課題を試行錯誤の上で乗り越えた感のある事例が紹介されていた。フィーチャーされていたのは地元の佛子園(ぶっしえん)理事長、雄谷良成(おおや りょうせい)氏だ。名前で分かるように、代々僧侶の家系だ。

金沢市の閑静な住宅街に、全国の自治体から注目されるスポット、「シェア金沢」という新しく作られた小さなコミュニティだ。全国から年間600以上の視察団が訪れる。東京ドームよりやや小さい敷地に、高齢者や学生、障碍者など、およそ70人が一緒に暮らす「多世代共生タウン」となっているのがその特徴だ。

敷地内には、クリーニング店やレストラン、売店、天然温泉、さらにデイサービス施設もある。就労の場も多くあり、高齢者や障碍者が働きがい・生きがいを持って充実した日々を楽しんでいる。

シェア金沢で住民の半数以上を占めるのは、32戸のサービス付き高齢者住宅に住む高齢者だ。住まいは1LDKにキッチン、バストイレ付きで家賃と共益費、さらに毎日の安否確認など「見守り」のサービスがあり、計12万円ほど。栄養面を考慮した手作りの朝食と夕食のサービスもあり、よくできている。

番組が紹介していたのは、2年前、神奈川県からシェア金沢へ移住して来た鈴木総七郎さん(74歳)。妻に先立たれてこの先を考え、いろいろなところを見学してここに決めたという。鈴木さんは、敷地内にある畑で野菜作りに日々汗を流し、さらに、施設内の高齢者向けデイサービスでも働きはじめた。シェア金沢で、生きがいを持ちながら有意義な生活を送っている。

シェア金沢の特徴は、学生や障碍者も暮らしていること。学生用住宅は光熱費込みで家賃は4万円と割安に設定されている。その格安条件として、シェア金沢内で月30時間のボランティア活動(高齢者の入浴介助や、対話など)が課せられているのだ。これは実にいいアイディアだ。ここは高齢者と若者が交流する恰好の場になっている。一方で、障碍者も温泉やレストランで、健常者と一緒に働いている。ここでは障碍者40人の雇用も生み出しているのだ。 

様々な人たちが、ごちゃ混ぜに触れ合う空間「シェア金沢」を作り運営しているのが、「佛子園(ぶっしえん)」の理事長、 雄谷良成氏。佛子園は、雄谷氏の祖父が戦災孤児や障碍児などを預かり、1960年に創設された。雄谷氏はそうした子ども達と、ひとつ屋根の下で一緒に育った。「障碍者が隣にいて当たり前の場を作りたい」という雄谷氏の思いを具現化したのがシェア金沢なのだ。

石川県小松市にある、佛子園が運営する福祉施設「西圓寺(さいえんじ)」はシェア金沢の原点とも言える場所。廃寺となっていたスペースを、雄谷氏が再建し、住民が集う憩いのスポットにしたものだ。子供からお年寄り、そして障碍を持つ人でいつも賑わっている。西圓寺には、天然温泉やカフェ、酒場、そして高齢者や障碍者向けのデイサービスもある、まさに“ごちゃ混ぜ”の空間。ここも、障碍者向けに様々な雇用の場となっている。住民の世帯数も少しずつ増えているという。

雄谷氏が提案する「高齢者や障碍者が一緒に支え合う街作り」は今、全国に広がり始めている。東日本大震災で被災した宮城県岩沼市もその一つ。この春、被災した住民1000人が、仮設住宅から高台の新しい町(玉浦西地区)へ集団移転を完了させたばかり。野菜の出張販売など、障碍者向けの雇用を生み、さらに、被災した土地に羊を飼い、地域の人々が交流する場を作り出している。佛子園方式のコミュニティ作りが始まっているのだ。

雄谷氏の考え方に全面的に賛成したい。多くの高齢者介護施設や児童養護施設が特定の年代や特定のハンディキャップを抱えた人たちを集中的に集めて面倒を見るようになっている。それは「面倒を見る」側の都合であり効率性の重視だ。しかし全く不自然だ。普通の社会というのは「ごちゃ混ぜ」なのだ。そしてそのほうが人はリラックスできるし、笑顔になれるはずだ。雄谷氏はそれを実践し、その有効性を証明しているのだ。