ビットコインの危うさは自由との引き換えの必然

ビジネスモデル

2月25日、東京に本拠を置く仮想通貨ビットコイン取引所、Mt.Gox(マウント・ゴックス)は取引を当面、全面停止すると発表しました。「異常な活動」(多分、外部からのクラッキング)が見られることを理由に、今月に入りビットコインの引き出しの無期限停止を発表、25日にはウェブサイトが停止され、事実上消滅した状態となったものです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140226-00000011-reut-bus_all

その後28日になって、東京地裁に民事再生手続きの開始を申請したと発表しています。
http://www.asahi.com/articles/ASG2X64VLG2XUTIL03P.html

ビットコインを預けていた利用者が資金を回収できるのか注目されますが、法律や規制に詳しい専門家の間では、資金回収は難しいかもしれない、との意見が出ているようです。
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA1Q04F20140227

小生も悲観的な見方をしていますが、ビットコインの利用者でないために詳しいことは分からず、的確な判断が付きません。

あえて厳しい言い方をしますが、利用者はこうしたリスクは織り込み済みとして(つまり自己の責任において)、こうした通貨と投資の境目にあるようなこの仕組みに大金をつぎ込んでいるのです。通常の利用であれば数十万円~100万円もあれば上等なのに数百万円から1千万円以上を投資した人が随分いるのが、その証左です。小生はこの既存の財政・金融行政から独立した仕組み自体に批判的ではありませんが、そのリスクは小さくないと考えていました。その反体制的な気概にはむしろ期待すら持っていました。
http://pathfinderscojp.blog.fc2.com/blog-entry-360.html

誰も保護・保証してくれないことが分かっていた仕組みに大金をつぎ込んで一攫千金を狙った連中に対し、こうした危機が生じたからといって保護・補てんをするようなら、それこそアンフェアというものです。今回の被害者であるマウント・ゴックス利用者は東京在住の外国人が大半です。その一部にはもしかすると小生の知人もいるかも知れません。しかし何度も言うように、これは自己責任の世界であり、同情する必要はありません。

もちろん犯罪自体の捜査は必要です。それが外部による犯行でも内部によるものでも厳しく追及して、盗人は誰か明らかにすべきです。

いずれにせよ、マウント・ゴックス利用者の「屍」を乗り越えて、ビットコイン自体、もしくはその類似の仕組みが、そう遠くない将来、国家に依存した貨幣システムおよびカード会社や幾多の電子マネーを脅かすほどの存在感を持つのではないかと、小生は考えています。