アスリートの凄さと人間の情けなさを同時に教えてくれるリオ五輪

グローバル

開幕から約1週間経ったリオ・オリンピックは今、日本にとって予想以上のメダルラッシュに沸く嬉しい日々を迎えている。小生と同様に連日の日本選手の活躍に単純に喜び、眠い目をこすりながら夜更かしまたは早起きしている同輩は少なくないだろう(小生はビデオ録画でも補っているが)。

常人の想像を超える激しい訓練を重ねて代表になり、しかも世界のトップレベル選手としのぎを削る。それだけで大いなる尊敬に値するのだが、ぎりぎりの闘いの中で我々を感動させてくれるシーンが続出している。特に女子重量挙げの三宅選手、競泳メドレーの荻野選手、卓球の水谷選手、そして何と言っても体操の内村選手。痺れるほどの緊張感の中で大技を決め、大逆転を果たした姿はさすがのレジェンドだった。

そしてそれと対比されるように醜い姿をさらしている連中が少なくないのも世界のスポーツ界の現実だ。国ぐるみのドーピングで恥をさらしたロシア陸上・重量挙げと、賄賂まみれの国際オリンピック委員会(IOC)はその双璧だ。

そして規模は小さいかも知れないが同様の問題を抱えている競技界は少なくないようだ。例えば卓球界はラバーへの不正な加工にメスを入れる動きが、水谷隼選手の告発によりようやく日の目を見たが、国際卓球連盟の動きは鈍い。今まで不正な手段で勝利を独占してきた某国が足を引っ張っているのは明白だ。
http://mainichi.jp/articles/20160304/k00/00e/050/140000c

また、組織的な不正ではなくとも、個々の選手における振る舞いには、(本当に立派なものもあるが)徹底的に情けないものまであり、人間模様そのものだ。それらを含め、トホトな話題、え?という話題が多い大会だ。さすがブラジル、なんでもアリだ。