「母の目線」が成し遂げた奇跡の人気店

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まさに現代版「細腕繁盛記」を観た気持ちになった。5月12日に放送された「カンブリア宮殿」を観た感想だ。

「みそかつ」の有名店、「矢場とん」の女将、鈴木純子(すずき じゅんこ)さんをフィーチャした『「みそかつ」を名古屋名物に!人情女将の細腕繁盛記!』という回だった。

創業は1947年。当時は名古屋で1軒の大衆食堂に過ぎなかった店は、国内20店舗、海外にも3店舗を出店するほどに成長を遂げた。「みそかつ」人気に火を付けて全国に名を轟かせ、今や年間237万人の客が押し寄せ、タイや台湾にも出店するほどの快進撃を続ける。

しかし同社の社員たちはごく普通もしくはそれ以下(いわゆるドロップアウト)の人たちばかりで、決してよくある「優秀な娘婿が率いて成し遂げた快進撃」などという話ではない。その成功を築いたのは、創業家に嫁いできた一人の女将の奮闘だったことがよく伝わってきた。

純子さんが創業家2代目に嫁いだとき、「矢場とん」は地元の名店という触れ込みだったが、実態は単なる街の大衆食堂に過ぎなかった。店は汚く活気もなく、雑多なメニューの中に看板メニューは最も手のかかる串カツ。しかも何と皿はアルミという安っぽさだったという。

サラリーマン家庭に育ち、飲食業にある種の憧れや夢を持って嫁いできた純子さんには大きなショックだったという。「私の店がこんなんでいいわけはない」と、店に君臨する大女将(義母)に闘いを挑み、やる気のない店員を叱咤激励しながら店を変貌させたのだ。

まずは店の顔であるのれん(実は汚い店内を隠す意味が強かったという)と食器から、やがて、コメや肉などの食材、レジシステム、さらに取引銀行や税理士も変えるなど、様々な改革を実行してしまう。それまで男性客が大半だった大衆食堂は、女性客も入りやすい「みそかつ店」に転換、客の舌と心をつかんだのだ。

200枚もあるアルミ皿を陶器皿に変えていくのに3~5年掛かったというくだりには恐れ入った。「割れる皿なんかに気を使っていられるか」と反対する大女将の目を盗んで少しずつ入れ替え、「何を勝手なことを」と抵抗されたにも拘らずくじけず、ほんとうに粘り強く実行したことが感じられた。

女将の改革で一変したのが、従業員のやる気に火がついたこと。それまで、無断欠勤や遅刻の常態化など、職場の規律が乱れていたが、女将は従業員の母親的な存在を目指し、従業員の心に寄り添い、彼らを変えていったのである。

問題社員が辞めて独立に失敗しても気にかけ、戻ってくることを許す。両親の喫茶店を継ぐことを期待されていた息子を一人前にするまで育てることを約束し、引き受ける。当人いわく「他の店だったらすぐに辞めて、今頃転々としていたはず。感謝しかない」と。だから彼らは実によく働く。

純子さんは様々な仕組みを作った。各店舗の従業員と悩み事や問題点を交換する日報制度を作り(この内容はほとんど個人の悩み相談で、しかも全員が共有する)、また定期的に従業員の家族を含めた三者面談まで行う。社員の家庭の事情から恋愛のことまで精通した女将は、まさに母子のような信頼関係を社員との間で築いている。

大卒3年以内の離職率が50%を超える外食業界で、「矢場とん」の離職率は9%と驚異的に低いのがそれを物語っている。「家族的経営」を標榜する中小企業は多い。しかしこの女将流の家族経営術と人心掌握術はそう簡単には真似ができない。