「介護離職ゼロ」のために優先すべきは介護スタッフの待遇改善

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政府は、「1億総活躍社会」に向けた「介護離職ゼロ」実現のための具体策として、特別養護老人ホームなどの介護施設を増やすため、首都圏の国有地90ケ所を早ければ年内にも事業者に安く貸し出す方針だという。これはないよりはましだが、優先すべき政策ではない。

介護離職を減らすためには介護を頼める施設を増やす必要があるという認識は正しい。財政難を理由に近年、施設介護から在宅介護へのシフトを誘導する国策が採られてきたが、政府もようやく間違いに気づいたのかも知れない。在宅介護をしたい人への支援は充実すべきだが、介護離職による職場と家庭の崩壊を食い止めるためには、施設介護を頼める先を地元に確保する以外の決め手はない。
あなたの家族に忍び寄る”介護による家庭崩壊”の危機 http://www.insightnow.jp/article/8208

しかし土地の確保は最優先策ではない。首都圏で施設建設の場所が不足しがちなことは確かだが、介護業界の経営者の声を聞く限り、最大の課題は人手不足なのである。施設介護に対する需要は旺盛だが、そこで働いてくれる介護スタッフの確保がままならないため事業拡大が難しい、というのが現場の嘆きなのである。増設どころか現状維持すら(人手不足で)ままならないという介護施設の悲鳴もよく聞く。

昨今はどの業界でも人手不足が叫ばれているが、介護業界は不況期から続く慢性的な人手不足業界である。正確に言うと、「需要が急拡大する中、供給が追い付かない」のであり、決して介護業界への就労数が減っているわけではなく、むしろ着実に増えている。とはいえ社会的要請が急務である職業でありながら、期待ほど人が増えていないのも事実である。介護業界の有効求人倍率は全産業のそれを遥かに上回り続けているのが実態である(下記URLにある資料のP.10~11を参照されたい)。
http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12601000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Shakaihoshoutantou/0000062879.pdf

ではなぜ人は介護業界への就労をためらうのであろうか。実は若い人たちの中で介護職というのは人気のない仕事ではないのである。むしろ目の前にいる人のためになることができ、「やりがいを感じる」職業の一つなのである。しかしいざ実際の職業選択の場面になると、必ずしも選ばれないのである。当人がその気になっても、親兄弟が説得し断念させることも少なくないとされる。他の職業から転職を考えている人にとっても選択肢に残りにくいのである。

なぜか。介護の仕事に「低賃金で重労働」とのイメージが強いことが主要因であろう。内閣府の「介護保険制度に関する世論調査」(平成22年)によると、ネガティブな面としては「夜勤などがあり、きつい仕事」(65.1%)、「給与水準が低い仕事」(54.3%)、「将来に不安がある仕事」(12.5%)の3つが高い割合を示した。

この3つ目は、1つ目から来る「体力のある若いうちしかできない仕事」という不安と、2つ目からくる「将来になっても給与や待遇があまりよくならないのではないか」という不安を足したようなものではないかと推察できるので、根は先の2つと同じである。世間的に「介護職は離職率が高い」というイメージも作用していよう(実は全産業平均と比べて実際の離職率にそれほど差があるわけではない)。

売り手市場になった今、わざわざそんな職場を選んでくれる奇特な人たち(そして選ばせる家族)は多くないということだろう。このイメージを変えないことには介護スタッフは全く不足したままであり、介護施設はなかなか増設できないのである。

そして厄介なことに、そのイメージは必ずしも間違ってはいないのである。介護職員の平均給与が他の似たような職業に比べ割安なのは事実である。2015年11月7日の日経新聞の記事によると、福祉施設の介護員の月給は2014年の全国平均が常勤で21万9700円と、全産業平均の32万9600円より約11万円低いとある(厚労省の統計によるとのこと)。昨今増えている非正規雇用のスタッフであれば、さらに一段と安い給与で働くのが実態だ。

大半の施設において介護職に夜勤がつきものであることも事実である。また、排泄物の処理やおむつ替えなどの「下の世話」をすることや、入浴を手伝う際などに風呂場まで老人を抱えることも、職場によっては日常業務の一環である。

こうした事実・実態を踏まえた上で、それでも日本社会としては、介護施設にて働くスタッフの数を増やし、彼らが健康で不安の少ない社会生活を営めるようにしなければならない。そのためには介護スタッフの待遇を大きく改善するよう、政策的に誘導する必要がある。イメージを改善するだけではダメで、実態をよりよくしないといけないのである。

まず根本的には介護スタッフの給与水準を底上げする必要がある。社会的な期待と要請が高い職業なのに、いくら若い人が多いからといって全産業平均を大きく下回る現状は許されるものではない。

介護報酬制度を司る厚労省、そしてその背後で予算を握る財務省は、国家財政事情が厳しいからと今年4月からの介護報酬(つまり介護法人に対する支払い額)引き下げを実施したが(その際には介護職員の処遇改善を要望してはいたが)、それが長い目で介護スタッフの給与水準や労働環境の改善に対しネガティブな方向に働くことは容易に想像できる。あまりに目先のことしか考えていない策だ。

このまま無理に介護報酬を抑制し続ければ、やがて介護施設は大幅に不足し、高齢者を預けられない世帯の介護離職が急増し、家庭は崩壊、中核人材を突然に失う企業は混乱をきたして生産性と競争力を下げ、国と自治体の税収はかえって落ち込んでしまいかねない。目先の節約にばかり気を取られて本末転倒の事態を招く愚策なのである。

すべきことは全く逆だ。高齢者が急増する当面の間、他の予算は多少抑制してでも介護報酬を増やすしか、介護離職を減らす効果的な方法は基本的にはない。さらに介護法人の収入を増加させるため、制度対象外のサービスを増やすように経営努力を促すことは必要だが、あくまで補足に過ぎないことは理解すべきだ。

もう一つ、介護スタッフの労働環境に大きく影響するのは夜勤の存在である。他の「キツい」とされる業務として挙げられる排泄物の処理やおむつ替えなどの「下の世話」は、介護スタッフの方々によると慣れると大丈夫だとのことだし、入浴などの際に老人を抱えるといった一見重労働な作業は男性スタッフがいれば何とかなるという。

しかし夜勤が勤務シフトに混じることで引き起こされる体調の崩れや疲労蓄積は、慣れや工夫で何とかなる問題ではない。特に少人数の施設では夜勤の頻度が多かったり、一人勤務だったりする実態があり、いくらやりがいに燃えて就労したスタッフをも挫けさせるキツさなのである。

一人夜勤時に「眠れない」「ご飯はまだか」といった呼び出しが続出するかたわらで、複数の利用者が徘徊するような事態が一晩じゅう続いたら、どんなタフな精神力と体力がある人でもまいってしまう。この事態を改善するよう経営者に要望しても、「我慢してくれ、いずれ何とかするから」といった言葉だけで何か月も放っておかれたら、誰でも退職を真剣に考えるだろう。

一番効果的な解決法は、夜勤専門のスタッフを雇い、大半のスタッフを日中だけの勤務として、両者を別々の勤務シフトにすることだ。もちろん夜勤専門のスタッフには高めの給与を支払う必要があるが、日勤・夜勤の混在に比べ体調管理はずっと容易だという。日勤専門になる大半のスタッフからは、一番の悩みがなくなることで大歓迎されよう。

この体制を確立するためには人数を増やす必要が出てくる施設も少なからずあろう。そのためにも介護報酬の水準を底上げすることが求められるのだ。

その結果、将来さらに消費税アップという事態を招くかも知れない。しかしこうした改善によって介護スタッフが笑顔で働き続けることができ、介護現場の崩壊を食い止められるのであれば、「次は我が身(が介護利用)」と、現在の納税者たちも納得するはずである。

そして冒頭の過去記事でも指摘したが、介護保険と税金から支払われる介護報酬の多くは介護スタッフの給与として支払われ(資本産業でない介護業界の場合、労働者への支払い割合が多い)、それは各地元経済に環流してゆく性格のものだ。分かりやすく云えば、与党・自民党の好きな建設業よりも地方経済の活性化効果が高いということだ。公共政策としては惜しむ理由はない。

なお、念のために断っておくが、弊社には介護業界のクライアントはいない。