ライドシェアの安全性は誰が担保するのか?

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一般ドライバーが自家用車を使って乗客を有償で運ぶ「ライドシェア」については、自民総裁選出馬表明している数人(小泉進次郎氏、河野太郎氏、茂木敏充氏ら)から積極・肯定的な意見が出されています。

タクシー不足を解消する観点から、2024年4月から日本の一部地域を対象に「日本型ライドシェア」が解禁されています。日本型ライドシェアでは、タクシー会社の管理のもと、一般ドライバーが自家用車を利用して有料で乗客を送迎することを可能にしました。

(配車システムについては外部のものを利用してもいいのですが)安全にかかわるドライバーの管理(採用・非採用、体調管理も含め)や車の整備については、タクシー会社が責任を取るシステムが「日本型ライドシェア」なのです。だから事故が起きればタクシー会社が賠償責任を取る仕組みになっています。

ところがこの「日本型ライドシェア」、許可されている時間帯が非常に限定的なのです。しかも各地域で事前に決まっています(タクシー供給が追い付かないことが確実な時間帯ということです)。そのためイベントや天候不順などがあって緊急にドライバーの増員が欲しいときに対応できません。

また、そもそも稼げる時間帯が限定的なので、元々うまく隙間時間にマッチしている人じゃないと登録する気にもならないのです。そのため「日本型ライドシェア」が解禁になった地域でも意外と登録ドライバーは増えていません。https://www.yomiuri.co.jp/economy/20240901-OYT1T50103/

こうした状況を背景に議論になっているのは、「日本型」がつかない、海外と同様の「ライドシェア」を日本でも解禁すべきか、という話なのです。要は(タクシー会社ではなく)UberやGrabなどの配車サービスの専門会社が自家用ドライバーとお客さんをマッチングさせる、という海外ではオーソドクスなサービスです。

でもよーく考えてみてください。配車サービス側はあくまでマッチングするだけで、安全に対し、具体的にはドライバーの技量・体調担保とクルマ整備に対しては、責任は負いません。安全に関しては個人事業主たるドライバーの責任で、どのドライバーを選んだのかは最終的には(配車されたドライバーを拒否しなかった)顧客の責任なのです。

海外と同様の「ライドシェア」によって海外(特に米国と欧州)で何が起きたかをよく理解する必要があります。幾つか無視できない課題がありますが、一番は、参加する一般ドライバーの質のバラツキが無茶苦茶大きいのです。

顧客からのフィードバック評価がうまく機能している米Lyftなんかはかなりマシですが、Uberのドライバーの中にはかなり荒っぽい運転で「荒稼ぎ」する猛者が多いせいか、事故率も低くはありません。

例えば整備不良で人身事故が起きて乗客が大けがを負ったとしましょう。乗客が損害賠償を求めることができるのは、配車サービスではなく、事故を起こした当のドライバーなのです。もちろんタクシー会社は無関係です。

こういう配車サービスに参加する一般ドライバーは稼ぐ意欲は満々だと思いますが、資産家ではないでしょう。経済的に生活が苦しい人も少なくないかも知れません。

そのため色々とアルバイトを重ねており、睡眠不足状態で運転することもありそうです。コスト削減のため整備にカネを掛けないばかりか、もしかすると自動車保険も最低レベルのものしか入っていないかも知れません。すると人身事故で賠償を求められても「全然払えない」ということもあるかも知れません。

さて、仮に(日本型でない)ライドシェアが解禁された場合、乗客は配車されてきたドライバーが入っている保険の内容を事前につぶさに見ることはできるのでしょうか。そもそも日本の乗客がそうしたことを気にしてドライバーや配車サービスを選ぶでしょうか。

私はいずれも「まず、ないな」と思わざるを得ません。いい加減な制度設計で被害を被るのは、常に利用者です。

したがって、この安全性の担保に関する論点は解禁前に徹底的に論じ、「自己責任」に押し付けるのではなく、その対策をきちんと取らない限り、(日本型でない)ライドシェアは解禁すべきでないと、(どちらかというと規制緩和派であるはずの)私でさえ否定的にならざるを得ないのです。